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学生広報スタッフ

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学生広報スタッフ特別取材 木村務学長「今、伝えたいこと」
2023-01-26
 2023年1月18日、私たち学生広報スタッフは今年度で学長任期を満了される木村務学長にインタビューを実施させていただきました!これまでの大学教員としての日々、学長としての日々を振り返りつつ、長崎県立大学への思い、大学教育への思い、そして私たち学生に伝えたいこと等、語って頂きました。

木村学長、まずは学長の生い立ちや学生時代のこと等をお聞かせください。

 私は1949年10月4日に、佐賀県神埼市に生まれました。4人兄弟の次男坊で、農家の家で育ちましたので、自給自足の毎日を過ごしました。小学校前半までは水道が通っていなかったので川まで水を汲みに行ったり、山へ薪を拾いに行ったり。今思えば昔話のような世界です(笑)。
 小学校後半からは水道も通り、目まぐるしく生活が変わっていきました。

 中学の頃、生徒会長を勤めましたが、その時何かの代表になるということはあまり自分には向いていない、どちらかというと代表の隣で代表を支える立場のほうが向いていると感じることもありました。しかし、世の中は不思議なもので、今日、私はここに学長として座っています。
 そのころビートルズが大好きで、ファンクラブに入ったり、ギターを始めたりしたものでした。

 高校のころは、実をいうと特にやりたいことや志望が見つかりませんでした。一方で、漠然と外国への憧れがあり、留学したいと思いましたし、海洋大学を目指そうと考えたこともありました。
 しかし、家庭の都合で農業のあとつぎをすることになり、地元の大学の農学部を受験しました。ところが受験当日に体調を崩し、思うような成績が出ず、第二志望の大学に進学することになりました。これが、人生ではじめて感じた挫折ですね・・・。
 当時の大学の授業料は月1,000円と、今では考えられない破格値でした。住居も安かったです。
 学生生活では、学生運動が流行っていましたのでそれに参加してみたり、ずっと好きだった音楽を楽しんだりと、学生時代を満喫していましたよ。実家が農家だったこともあり、実際の農業や、経済についての勉強はしていました。当時のゼミの先生に院への進学を勧められました。しかし、お金がなかったので進学は難しいと話したところ、先生が実家まで赴いて両親を説得してくださり、進学することができました。修士課程では学会発表を2回するなどよく研究に励んだと思います。それが実り博士課程へ進学しました。
 そこでは実証研究をしていたため、ひたすら調査しデータを取る、なんだか調査マンの毎日でした。よく失敗しましたが(笑)。研究研究の毎日を過ごしていたころ、授業をしてみないかとの誘いを受け、学生に対して自分の研究に関する授業を行いました。自分の研究を誰かに伝えられる、ということは本当に嬉しかったです。
 そこから、私の大学教員としての人生が始まりました。

 1978年より講師として授業を行いましたが、学会で出会った先生に紹介され、2001年から長崎県立大学に赴任し、経済学部の教員として教壇に立ちました。ついいろんなことに口を出してしまう性格が災いしたのでしょうか(笑)、2003年には経済学科長になり、2005年には経済学部長と副学長を兼任しました。2006年にはついに学長代行業務を行うようになり、その後少しの間をおいて名誉教授になり、学長として今に至っています。
 今思えば、あっというまの日々でしたね・・・。しかし、研究はおろそかになりました。大学院進学をすすめてくださった今は亡き先生にはお詫びしたいです。

今日までの大学での日々の中で、多くの学生に接してこられたと思います。最近の学生像をどのように感じていらっしゃいますか。

 初めて長崎県立大学で教壇に立った時、非常にまじめで誠実な学生が多い大学だと感じました。一方で、主体性や積極性に欠け、社会を変えるために自分が動く!という意識があまり感じられませんでした。しかし、本学の学部編成替え後は、その点が大きく変わってきて、自ら何かに取り組む学生が増えたと感じます。良い感じになってきて嬉しいですね!!

学長から見た「長崎県立大学の魅力」って、ズバリ何でしょうか?


 学生はもちろんのこと、教職員も一緒になって、一生懸命に頑張っているところだと思います。学生・教員・職員の距離の近さ、これは本学の誇るべきことだと思っています!
 また、メディアで取り上げられなくても、沢山の取組の種が本学にはあります。そうした一生懸命でひたむきなところが魅力なんだと思います。

長崎県立大学は、地域とどう関わって、どのような存在であるべきとお考えですか。

 「地(知)の拠点」であるべきではないかと思います。地域で、学問にしても産業にしても、何においても大学が拠点となって様々な分野をリードしていく。その結果、好循環が生まれ学生が生活しやすい環境が生まれると考えます。
 そうして学生が産学連携やボランティアなどを通して地域と直接関わり、自らを成長させてくれる場所を作ること、それが地域の発展、ひいては大学の発展につながると考えます。

長崎県立大学のここ数年の成長は、どのような点でしょうか?

 学生が、自らの行動力を原動力に、様々な活動に取り組んでいる、という点に、本学の成長があると考えます。教育成果を測ることは難しく数値に現れませんが、長く教育に携わっていると、感覚でわかる気がするんです。
 私の感覚では、多くの学生に行動力が現れており、他には類を見ないような成長を遂げていると感じます。今日私を取材してくださっている、学生広報スタッフの皆さんの存在は、本学の成長の象徴の一つだと思っています。
今、学長がお考えの、長崎県立大学の今後の展望についてお聞かせください。

 これまで、ローカル・ブランド力を創出することに尽力してきたが、これからはナショナル・ブランド力、グローバル・ブランド力の創出に力をいれることで、本学の認知度の向上につなげていくべきと考えます。
 ナショナル・ブランドの創出のためには、IT分野の発展や、全国へ向けた広報、学生が活躍できる場の創出を通じ、本学の更なる成長が求められるのではないかと考えます。

恐縮ですが、私たち学生広報スタッフの活動をどのように感じていらっしゃいますか。
 
 大学を学生目線で広報するという団体ができたことに驚いたのと同時に、大学という組織について考えてくれる学生がいることを嬉しく思います。

いよいよ任期の満了を迎えられる学長から、次の学長に伝えたいことをお聞かせください。

 ナショナル・ブランドの創出のため活躍していただきたいです。
 私は4年間で学部編成替え後の大学を軌道に乗せることを心掛けました。学生が主体的に学ぶような環境づくりと、それを社会に認めてもらうこと、更に、全学に博士課程の設置を実現させることができました。今、ようやく他大学と同じスタートラインに立ったところです。これからはこれを大きく成長させ、ナショナル・ブランドにしていただけますと嬉しいです。

ここまで、学長に様々なことをお聞かせ頂きました。ここで、今、木村学長から長崎県立大学の学生へ伝えたいこと、その想いをお聞かせください!

 まず、踏ん張って頑張ってほしい。
 私の学生時代と比べると、現在は本当に先が見えない時代です。終身雇用も過去のものになりつつあります。くわえてここ数年の学生はコロナという時代に襲われ、かわいそうにすら思います。しかし、ここで「踏ん張って頑張るぞ」という強い意思をもつ人間になってほしいです。

 そして、失敗しても大丈夫だから、挑戦し続けることを忘れないでほしい。
 先が見えないからこそ余計に失敗を恐れるかもしれませんが、失敗しても大丈夫です。私は大学入試に落ちてしまったことや、教授時代に自分が教えたことが間違っていたことなど、本当にたくさん失敗してきました(笑)。でもこうやって長い間教授として教壇に立つことができました。みなさんにも、失敗を恐れず挑戦しようという心意気をもってほしいと思います。

 最後に、スケールの大きな人間になってほしい。
 最近は教育の成果を急ぎすぎているのではないかと思うことがあります。しかし、何をするにしても成果がすべてではありません。むしろその過程において、広い目で社会や物事をとらえることができるような、底の深い人間になることが大切です。企業や公務員でも、目前の成果より底深さを求めているように思えます。自分の視野を広くもつことを忘れないでほしいです。

木村学長、最後にこの後やりたいことを率直にお聞かせください。
 まずは、ゴルフをやる!!大会に出たいのです(笑)

 お忙しい中、長時間にわたり、たくさんの質問に丁寧にお答えいただきありがとうございました!教育にかける想い、これからの長崎県立大学への想い、熱意。私たち学生広報スタッフにも優しいお言葉を掛けてくださる等、終始優しい雰囲気のインタビューとなりました。

 最後に、私たちからこれまでの感謝を伝えるために寄せ書きを作成しましたので、お渡ししました!お優しい笑顔が見られてよかったです(/・ω・)/
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取材メンバー
公共政策4年 松元広貴(まつもと ひろき)
公共政策4年 畑中佑太(はたなか ゆうた)
公共政策3年 古賀香雪(こが こゆき)
公共政策1年 金子智香(かねこ ともか)

執筆&制作
公共政策3年 古賀香雪(こが こゆき)

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