研究情報詳細

氏名

李 炯喆(イ ヒョンチョル)
LEE Hyongcheol

所属

国際社会学科

職名

教授
研究者写真

学歴

  • 中央大学校(중앙대학교) 政経大学(정경대학) 政治外交学科(정치외교학과) 1971年03月02日(入学) 1977年08月30日(卒業)
  • 神戸大学大学院法学研究科 法学研究科 日本政治外交史 1982年04月01日(入学) 1985年09月30日(修了)

留学歴

  • 日本国 日本 韓国中央大学校助手 1979年04月03日 ~ 1985年09月30日

取得学位

  • 学位区分:博士、学位名:法学博士、学位の分野:政治学、授与機関:神戸大学、論文題目名:15年戦争期における政軍関係の変遷、取得年月:1985年09月30日

学内職務経歴

  • 教授 本務 常勤 2008年04月01日 ~ (継続中)

学外略歴

  • NICEキャンパス長崎 講師 終戦と日本外交 非常勤 2010年05月01日 ~ 2010年05月31日
  • 活水大学 文学部 講師 韓国事情・政治学 非常勤 2004年04月01日 ~ 2005年02月28日

所属学会

  • 日本国際政治学会 2011年04月 ~ (継続中)

専門分野(科研費分類)

  • 政治学 日本政治外交史

学位論文

  • 1985年09月30日 専門分野:政治学、 題目名:15年戦争期における政軍関係の変遷、
    概要:満州事変から敗戦に至る期間に、日本政府と軍部との力学関係の変化と戦争への過程を分析し、明治体制の下での軍部による間接支配の特徴を明確にした。要するに、明治体制の二元制(統帥権の独立と帷幄上奏、軍部大臣現役武官制)の下で軍部は全般的に、非合法的な方法によらず間接支配を目指して、軍部の政策と要求を政府に押し付けた。満州事変、2.26事件、日中戦争と戦時動員体制の成立は両者の力学関係変化の分水嶺となった。

論文

  • 「植民地支配下の朝鮮語」 『研究紀要』 第1号 P1-168 (2016年12月28日) 李 炯喆  単著
    概要:朝鮮が日本の植民地になってから日本語が国語となり、朝鮮語は民族語となったが、 35年間に及ぶ全植民地期間中に朝鮮語使用が禁止されたわけではなかった。1920年代の文化政治期には教育熱が上がったため普通学校の新設が急増し、なお朝鮮人による朝鮮語(ハングル)の啓蒙運動と研究が展開され、制限的ながら言論、文化活動も許された。しかし、1930年代後半になり、内鮮一体を目指す皇民化政策の下で、学校と官公署で朝鮮語の使用が禁止され、国語常用が強要されたが、朝鮮人の日本語解読率が20%くらいしかなかったため、終戦の日まで朝鮮語による新聞の発行と放送を行った。総督府は朝鮮語使用の禁止・国語常用運動を展開しながらも、一方では植民地統治のため、自ら朝鮮語の新聞と放送を活用する方針を採ったが、それでいて朝鮮語使用禁止と民族性の抑圧を否定するのは無理である。
  • 「中曽根康弘とアジア」 『研究紀要』 第16号 P1-197 (2015年12月28日) 李 炯喆  単著
    概要:自主論者中曽根康弘の歴史観とアジア政策を主な対象にして、それが対米協調外交にどのように影響したかを分析した。戦後政治の総決算をキャッチフレーズに首相の座についた中曽根も新冷戦という世界的な流れの中では対米自主よりは、むしろアメリカに積極的に協力したが、現実的に見れば、日米関係のみならず、彼が挙げた「日本外交の四原則」の第四番「世界史の正統的潮流にのっていかなければならない」を基に、中韓との隣国関係も、東南アジアとの関係も良好に維持した。
  • 「冷戦終焉と東アジア関係の変容」 『東アジア評論』 第7号 P1-180 (2015年03月31日) 李 炯喆 単著
    概要:米ソ冷戦終焉の前後における朝鮮半島の南北当局と周辺の関係国の関係変化を対象にする。そのため、三重の冷戦構造という分析枠を用いる。三重の冷戦構造とは南北当局にとっては高い三段跳び箱であって、世界レベルにおける米ソの世界冷戦、地域レベルにおける米中のアジア冷戦とその磁場、最下部の朝鮮半島における南北間の局地冷戦を指す。冷戦終焉に伴う三重構造の連鎖反応による南北当局と周辺国の外交関係の変化を追跡してみる。
  • 「宮澤内閣とアジア」 『長崎県立大学国際情報学部』 第14号 P77-87 (2014年01月15日) 李 炯喆  単著
    概要: 宮澤喜一と言えば、戦後日本の政治外交と経済に深くかかわった戦後史の証人である。占領から経済摩擦にいたる対米関係のみならず、アジアの隣国とも深く関わっていて、教科書問題の際の近隣条項、PKO協力法、従軍慰安婦問題(河野談話)、新宮澤構想などの決定と政策を打ち出した。そのため、毀誉褒貶相半ばする異色の保守政治家である。首相としての評価は高くないが、宮澤の政治活動には並の保守政治家とは異なる戦前の意識、自由主義、アジア認識が通底している。決して弱腰、優柔不断のせいではなく、彼の信念に由るものである。
  • 「日本の東アジア外交60年」 『東アジア評論』 第第5号 P19-30 (2013年03月31日) 李 炯喆  単著
    概要:冷戦期の日本外交は日米関係を基底に置きながらアジア国とは二国間関係になりがちであって、日本にとってアジア外交は対米外交の二義的なものとなった。日本もアジア外交で独自な役割を模索しつつあったが、その成果は乏しかった。総じて日本の経済力はアジアの経済発展に貢献し、相互依存も深まったが、経済外交の効率については疑問を持たざるを得ない。経済力のみで外交は高く評価されない。経済外交を以て更なる目的を成し遂げるべきで、カンボジアでのPKO活動は外交資源の多角化をもたらした契機となり、数十年間戦争に明け暮れた同国の平和を切り開いた。冷戦終焉とAPEC結成で多国家間外交時代を迎えた日本とアジアの相互依存はさらに深まったが、アジアの発展と平和は日本一国のみの責務ではなく、中国、韓国、東南アジア諸国の共同責務である。摩擦は起こるが、「心と心の触れ合い」を持って、共生の道を開こう。
  • 「韓国人の三つの戦争と日韓関係」 『研究紀要』 第13号 P77-87 (2013年01月11日) 李 炯喆  単著
    概要:韓国人が太平洋戦争からベトナム戦争まで経験した三つの戦争のうち、太平洋戦争は他国戦争に動員された戦争であり、朝鮮戦争は同民族間の戦争でありながら、米ソ冷戦に影響されたイデオロギー戦争でもあって、ベトナム戦争は韓国軍が余所の国で行った戦争で、イデオロギー戦争でありながら加害戦争でもある。なお、韓国人の三つの戦争は日本も直間接的に関わった戦争であり、戦争の負の遺産は韓国社会のみならず日本と東アジアにも影を落としている。三つの戦争に関わる真実をより客観的に認識するためには更なる議論と時間を要する。
  • 「大平内閣とアジア外交」 『長崎県立大学国際情報学部研究紀要 第12号』 P137-148 (2011年04月) 李 炯喆 単著
    概要:大平正芳は自民党派閥戦国時代の悲運の首相であって、40日抗争と1980年の衆参同日選挙という重圧の中で急逝した。混濁した内外の情勢にも拘らず、経済大国日本の新しい位相を模索し続けて、政治外交では「戦後の総決算」、「総合安全保障」、「環太平洋連帯」のビジョンを提示した。さらに、西側国家としては初めて中国に円借款を提供して中国の近代化に協力した。脱吉田政治である戦後の総決算は実現できず、対米関係をかけがえのない友邦と評価し、なお戦後首相としては初めて同盟国と表現した。戦後日本外交の限界であるが、対米自主はより現実的かつ柔軟に再考すべきである。
  • 「終戦と無決定の本質」 『長崎県立大学国際情報学部研究紀要』 第11号 P161-173 (2010年04月) 李 炯喆 単著
    概要:太平洋戦争の敗戦が必至となった1945年早春から降伏を決定した8月中旬までの終戦過程を無決定という観点から検証した。一撃講和、早期終戦、即時終戦へと和平派の判断が変わる中、抗戦派は本土決戦を固持して譲らなかった。その拮抗を終わらせたのが二度にわたる天皇の決断であったが、終戦が遅延したので日本は度重なる大災難に遭った。国家的犯罪とも言われる終戦決定の遅延の主因は、軍部の抵抗、対ソ和平交渉でソ連に翻弄されたこと、煩雑な会議過程と国体護持をめぐる観念的な論議などである。国際法上の盲点に突かれたソ連軍の参戦は悲劇の極みである。
  • 「19世紀末の東アジアネットワークにおける長崎と仁川」 『長崎県立大学東アジア評論』 第2号 P61-72 (2010年04月) 李 炯喆 単著
    概要:帝国主義時代の19世紀末の東アジア歴史の裏面には地域間の貿易と人的交流というもう一つの歴史がある。朝鮮の開国と仁川の開港によって、上海-長崎ネットワ-クが仁川まで延長された。仁川と長崎の交流は歴史の必然と偶然が結び付いたものである。当時は戦争と帝国主義時代であったが、東アジアには盛んな交易ネットワ-クが形成されていて、現在、同地域に住んでいる我らに示唆するところが多い。グロ-バリゼ-ション時代に相応しい東アジアの交流ネットワ-クを如何に再構築して共に繁栄するかは、我らの努力次第であろう。

著書

  • 日韓の相互理解と戦後補償 日本評論社 2002年04月 李 炯喆 共著 第6章日韓新時代の幕開け・1.日韓新時代の政策(pp.253~271)1998年10月、日韓両首脳による政治的和解が果たされ、日韓両国は新しい時代を迎えるようになった。新時代を迎えて相互理解の促進という観点から両国間の歴史問題の過去・現在・未来について検証・展望した。政治の役割とともに、市民レベルでの役割についても述べ、相互理解の拡大と深化を提言した。
  • 軍部の昭和史上・下 日本放送出版協会 1987年04月 李 炯喆 単著 博士論文を出版したもので、上巻228頁・下巻230頁である。概要は以下のとおりである。満州事変から敗戦に至る期間に、日本政府と軍部との力学関係の変化と戦争への過程を分析し、明治体制の下での軍部による間接支配の特徴を明確にした。要するに、明治体制の二元制(統帥権の独立と帷幄上奏、軍部大臣現役武官制)の下で軍部は全般的に、非合法的な方法によらず間接支配を目指して、軍部の政策と要求を政府に押し付けた。満州事変、2.26事件、日中戦争と戦時動員体制の成立は両者の力学関係変化の分水嶺となった。

研究発表

  • 2007年12月 ~ 2007年12月 長崎県立大学国際シンポジウム「長崎・上海・ソウル新時代」 長崎・上海・ソウル新時代 県立長崎シーボルト大学 シンポジウム・ワークショップ・パネル(指名) 国内会議

担当授業科目

  • 政治学 2008年04月01日 ~ (継続中) 専任
  • 日本の外交Ⅰ 2008年04月01日 ~ (継続中) 専任
  • 日本の外交Ⅱ 2008年04月01日 ~ (継続中) 専任
  • コースゼミナールA 2008年04月01日 ~ (継続中) 専任
  • コースゼミナールB 2008年04月01日 ~ (継続中) 専任
  • 専門演習A 2008年04月01日 ~ (継続中) 専任
  • 専門演習B 2008年04月01日 ~ (継続中) 専任
  • 卒業論文(国際交流学科) 2008年04月01日 ~ (継続中) 専任
  • 日本政治外交史 2008年04月01日 ~ (継続中) 専任
  • 国際交流学特別研究Ⅰ 2013年04月01日 ~ (継続中) 専任

学外の社会活動(高大・地域連携等)

  • 2012年06月 ~ 2013年06月 長崎短期大学市民講座オモシロ国際学「朝鮮半島の動向」 1.2012年の朝鮮半島情勢の変化(韓国の大統領選挙の行方と北朝  鮮の権力移譲)が日本などの周辺国に与えた影響などについて 述べた。2.2013年の朝鮮半島情勢の変化及び安倍内閣と朴政権の日韓関係 について述べた。
  • 2011年11月 ~ 2011年11月 第1回長崎県立大学東アジア学術交流フォーラム 質疑応答会の座長佐世保校