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令和3年3月末をもって御退任されました古河副学長からメッセージを賜りました。
2021-04-05
カテゴリ:お知らせ
退任にあたっての御挨拶



 教育担当副学長として8年間、「実学的・実践的」学びを掲げた学部学科改組、その具体化のために微力ながら尽力してまいりました。当時は本学について、「国公立大学最後の「砦」であるといった声」があり、長崎県南部からみると佐世保の本学に入ることは「都落ち」とも言われるような評判を打破すべく検討を始めました(『教育力のある大学へ』所収の百岳敏晴「大学改革を語る」)。
 改革議論の過程で、経済学部の廃止・再編、国際情報学部の分割・再編の方向性が明らかになってくると、学内の不安や反対は膨れ上がりました。太田学長(当時)と百岳専務理事兼事務局長と私は頻繁に連絡をとりあって物事にあたりました。学内の説得は大きな摩擦をともなうものでした。一般教員との板挟みで苦慮した学部長・学科長やプロジェクト・メンバー、会議資料や届出書類の整理に夜遅くまで追われた職員も、まさに嵐のなか船の乗組員(クルー)として懸命に各自持ち場を守りながら、なんとか新学部学科をスタートさせることができました。本部会議のため佐世保から車でシーボルト校へ移動する道中に桜の名勝がありますが、季節は春、誇らしげに咲きこぼれる桜の光景にも散るばかりを想ってか、一抹の悲壮感を抱きつつハンドルを握ったこともありました。改革は高校関係者や地元各界には好意的に受け止められ、大筋において間違っていなかったと思う次第です。

 学生は所属する学部・学科の領域に基づいた専門性と幅広い教養を修得することが求められます。専門性とは、大学4年間で何を学び、どのような力を身に付けたかを示す証明書に記されるものであり、経済社会で職業生活をスタートさせるさいの手がかりとなるものです。
 一方、幅広い教養は今日の複雑かつ多面的な問題に遭遇するにあたって意見や選択が求められるさい、判断のよりどころとなるものと言えるでしょう。
 あらゆる情報が比較的容易に手に入る時代となりましたが、本質的なことと枝葉末節、価値・原則に照らして則るべきこととその時々の事情に合わせて適宜判断していいことを判別するために、情報を知識に統合し、知識を叡智に高めること、そのような訓練を積むことが大学の大きな特徴ではないでしょうか。

 今、陽当りの良くない所に花を咲かせている茎の曲がった植物を目にしたとしよう。
 ビジネスを学んだ者はその植物の市場価値を言うことができるでしょう。農業に詳しい者なら土壌の良し悪しや風の向きに注意を払うかもしれません。教育を職とする者は、なによりも懸命に光を求めて伸びようとするその植物の生命力に感動し、茎の曲がっているのは成長しようともがいた証だと思うのではないでしょうか。可能性・潜在力への粛然たる尊重の念、これこそ教育に携わる者の心構えではないかと思います。

 教育はなによりも組織的な営みです。到達すべき学修目標、学生も含めた学修の振り返り、教育活動の相互的な検討と反省など、いずれの大学も計画的に取り組んでおります。 だが、教育は学生と教員との一回性の営みでもあり、学ぶ側の意欲と教える側の熱意がいわば化学反応をおこすなかで、将来の世界とそこにいる若者の輝く姿が垣間見えてくる「未来の窓」ではないでしょうか。

 その未来の窓から見たいもの―それは「未来を生き抜く知識を修得した」(本学の「KEN- SUN 力」から)若者が、その知識を自らの人生を切り開くために用いるだけでなく、今を生きる多くの人々の渇望と失意、挑戦と喜びに耳を傾ける開かれた心をもって、「他者を尊重するとともに、自己を主張し、協働・共生する」姿です。副学長退任と同時に本学を退職する運びとなりました。思索と研究を教育に反映できる大学教員というすばらしい仕事に従事する僥倖に恵まれた30余年でした。
 最後に、長崎の地から地方大学として力強く学びの輝きが発せられることを祈念しております。


令和3年3月
古河 幹夫
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