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留学生活体験記

【vol.15 2011年 5月】(中国・上海外国語大学 前田 麻夕子さんより)

国際交流科4年 前田 麻夕子

上海での留学を通して

皆さん、こんにちは!上海では夏風が桜の花を散らし、短い春から暑さが厳しい夏への移り変わりがすでに始まっています。留学生活も残り1ヶ月半というカウントダウンを迎えた今、留学を通して見えもの、心境の変化などをこのレポートを通して皆さんに伝えたいと思います。

8月30日、私の上海での留学生活が始まりました。大学入学当初、私は自分が中国で留学するなんて思ってもみませんでした。なぜなら私の専攻は英語で、大学に入学したら絶対に英語圏に留学したいと高校の頃からずっと思っていたからです。大学1年生の前期に劉愛莉先生の中国語の授業を履修していなかったら、私は今ここにいないと思います。劉先生は私の中にあった中国に対するイメージを一変させただけではなく、中国語の勉強を通して新しい中国文化の世界を見せてくれました。

日本ではマス・メディアなどの影響から、中国に対して嫌悪感を抱いている人が多いと思います。私もかつてその中の一人で、中国に対するイメージは決していいものではありませんでした。しかし、ただそれは極めて浅い知識の中で、自分ではなく他人の見解によって創造されたものであるということに気付きました。中国語の授業では、中国語を通して中国の社会・歴史・文化を理解します。その中で私は日に日に中国という国に対して興味が湧いてきました。そして大学入学以降3回中国に行きました。実際に自分の目で見たこと、耳で聞いたこと全てが新鮮で初めて他人ではなく自分自身の考え方で中国という国を分析、理解することができました。そして思ったのです。中国に対してもっと深く学びたい!理解がしたい!6 留学がしたい″と。

幸運にも交換留学の機会を得ることができ、今現在上海で留学生活を送っています。言葉にすることがすごく難しいくらい、留学生活で感じたことは多く、考え、学んだことはそれ以上に多いです。

留学生活がスタートした時、上海は万博の真っただ中でした。街は中国人だけでなく多くの外国人観光客で賑わっていて、上海はまさに今、国際都市への発展の階段を上っているのだと感じました。1年前の上海と比べてあまりの変貌ぶりに正直驚きました。街は綺麗に整備され、駅や道端にいたホームレスはすっかりいなくなっていました。しかし、その情況は逆に私に中国の影の部分を見せたのです。

絵に描いたように綺麗にそびえ立った高層ビル、高級住宅群の裏にかくされていた強制的に取り壊された古くからあった家々、貧富の差の中で細々と暮らす人々…。ホームレスに関しても、ただ一時的に排除されていただけで決して解決されていたわけではなかったのです。以前ドイツ人の友達に誘われて、貧しい人々が住む地域に行ったことがあります。家には簡素な家具だけで最新の電化製品などあるはずもなく、夜になるとほのかな明かりの下、女性たちがお世辞にも豪華とは言えない食事を作り、子供たちはそれを楽しみに「今日のご飯はなに?」と口ぐちに聞いていたのです。彼らはこんな状況の中強く生きています。その住宅区からは夜になると眩いばかりの光を放つ上海のシンボルである東方明珠塔、世界第2位の高さを誇るSWFC(世界金融中心)が無情にも見えるのです。今でもその時の何とも言葉にできない気持ちを鮮明に覚えています。

中国の社会問題である貧富格差を改善するために必要なことはいったい何なのか…。私はホームレスにお金をあげることは決して問題を解決する手段ではないと思います。日本からの中途半端なODAも貧困層をさらに苦しめている要因になっていると感じるし、政府のあらゆる政策も、本当に貧困層のことを考えているのかと疑問に思う事が多くあります。貧富の差は確かに6 お金″の問題ですが、必ずしも6 お金″で解決される問題ではないと思います。貧困の原理は以前大学で学びました。しかし今自分がその社会で生活していると、その社会に応じた観点から考え、答えを自分なりに導かなければいけないと思いました。8ヶ月の留学生活の中で、この問題に対してまだ私は抽象的な考えしか持てていません。この留学が終わる時、自分なりの答えを絶対に見つけたいです。それがこの留学が本当に価値のあるものだったという証明になると、私は思っています。

中国で実際に直面した問題がもう一つあります。それは「反日問題」です。南京に旅行に行った時、日本人だという理由でタクシーの乗車を何度か拒否されたり、家の近所の八百屋にフルーツを買いに行った時「日本人には安く売れない、韓国人には割引してあげる」と言われ、ものすごくショックを受けました。国と国との関係がこうして人と人の関係に影響してしまい、交流の障害になっているのです。しばらく私は国籍を聞かれる時、「韓国人」だと答えていました。それが自分を守るための唯一の手段だったからです。しかし「私は韓国人だ。」と言う度、私の心は何とも言えないモヤモヤした気持ちでいっぱいになりました。ある日、いつものように「あなたは何人?」という質問に「韓国人」と答えた時、私はこの問題からただ逃げているだけなのだという事に気がつきました。日本人だというアイデンティティを持って今まで生きてきて、それを誇りに思ったことも恥ずかしく思ったこともありません。なぜなら自分が日本人だということは変えることのできない事実だからです。それがある人と交流する時は有利で、ある人と交流する時は不利だというのは、あまりにも理不尽すぎます。そこで私は決めました。自分を偽ることなく国と国の関係以前に人と人との関係を着実に築いていこう、そして本当の日中の友好関係を実現させる力になろうと。辛い思いもするかもしれません。でも私は中国が好きです。中国人が好きです。様々な物事、人々が私をこの地に導いてくれたのには意味があると思うし、最近はこれが使命なのだと思うようにもなりました。

長くなりましたが、私はここ中国で中国語を勉強するだけではなく、今までの人生の中で見過ごしてきたことを改めて見て感じることができています。この留学の機会を与えて下さった先生方、留学に関してあらゆる方面からサポートして下さった国際交流センターや学生支援課の方、何の反対もせずに送りだしてくれた家族、辛い時は力になって、喜びは共に享受してくれた日本にいる友達、ここ中国で共に切磋琢磨している世界各国の留学生の仲間たち。たくさんの人々に支えられて、この留学の中で成長することができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

最後に、もし留学を考えている方がいたら、恐れずにその機会を全力で掴んでほしいと思います。私の1番好きな言葉は「変化は挑戦の中にある」という言葉です。挑戦を英語に直すと[Challenge]、その中に[Change]という字が隠れています。この留学が私にその意味を教えてくれました。数え切れない経験を私に与えてくれたこの留学に多くの感謝の意を込めて、私の留学報告を終わります。最後まで読んで下さって本当にありがとうございました。
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