サンタクロースはいますか

2012.12.20

今は昔。Virginiaというニューヨーク在住の8歳の少女が父親に訊ねた。「サンタクロースって、ホントにいるの?」答えに窮したパパは、うまくその場を逃れる。「ウーン、どうかな。そうだ、新聞社に訊いてごらんよ」。もちろん彼らの会話は英語であろうが・・・。そこで、少女は新聞社(New York’s Sun)に手紙を出す。受け取った新聞社は、なんと社説で答えた!1897年秋のことである。「Yes, Virginia, there is a Santa Claus.」この中に、私が生物有機化学の研究者の端くれとして必死だった頃に、いつも心にしまっていた文章がある。

自然科学(特に実験系では)の研究には、いくつかのタイプがある。1) 新しいものを発見あるいは創成・発明する、2) 新しい方法を工夫する、3) 知られている事実のからくりを説明する・原因を究明する、等に大別される。もちろん相互に関連があり、例えば事実の説明を目標に研究していて、新しいものの発見につながることは、よくある。抗生物質の発見は1)の例、一昨年のノーベル化学賞の「クロスカップリング」は2)の例、「お酒の話、その1」で述べた葡萄からワインができる過程の研究は3)の例で、酵素や補酵素の発見につながり、結果的に生化学という学問領域の確立という大輪の花を咲かせた。

研究を始めるとき、3)に関しては、目標に到達できるかどうかは別としても、何らか原因はあることには間違いない。しかし、1)および2)に関しては、そもそも目標とするモノや方法があるか無いか分からない。世界の誰かが既に同じ試みをして、うまくいかず諦めたのかもしれない。こういう場合、論文としては発表しない。「以前に試みて失敗した人がいたが、新たな工夫でトライしたら私は成功した」と後から発表されたら立場がないからである。

大学で研究を進める場合、実際に実験は学生諸君に担ってもらうことが多い。したがって、リスクにはお金と時間だけではなく、若い才能を伸ばせるかどうかという、失敗が許されない部分が含まれる。もちろん、実験の失敗=教育的にも失敗ではないし、逆に目標達成だけが教育でもなく、そのバランスは、学生の個性にも依存し、極めて難しい。「見つけた!」と大喜びで発表したら、「そりゃ、そうだろうね」と言われたら研究成果としての価値は低い。ライバルには、お世辞でも良いから「Oh, it’s exciting!」と言わせたい。研究のテーマを決断するときは、いつも心に葛藤がある。このとき、頭に浮かぶのが、先の社説の一節である。

Not believe in Santa Claus! You might as well not believe in fairies! You might get your papa to hire men to watch in all the chimneys on Christmas Eve to catch Santa Claus, but even if they did not see Santa Claus coming down, what would that prove? Nobody sees Santa Clause, but that is no sign that there is no Santa Claus.

誰一人サンタクロースを見なかったからと言って、サンタクロースがいないということにはならないじゃないか!

Did you ever see fairies dancing on the lawn? Of course not, but that’s no proof that they are not there.

(全文はWeb上で「Is there a Santa Claus」で検索可能)

つい長くなってしまいましたが、調子に乗って偉人の言葉を引用します。

Anyone who has never made a mistake has never tried anything new.
Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow. The important thing is not to stop questioning.

Albert Einstein