冬が来れば・・・

2013.02.18

以前ここで、「夏が来れば・・・」と題して、尾瀬や山のことを書いたことがある。今回は、季節を変えて50年前のスキーに関する苦い思い出、、、。

私は育ちが新潟市で、住んでいたのは海のそば。冬は砂丘でスキーが楽しめた。といっても、太めの竹を、40 cm位に切り、それを縦に4つに割る。先端を火であぶって少し曲げて、スキーの出来上がりである。節を長靴の先端に引っ掛けて、松の木の間を適当に滑る。せいぜい2, 30メートルであるが雪にはなじむ。

本格的なスキー場へ行ったのは、大学4年のとき、卒論の研究室の先輩達に蔵王へ連れて行ってもらった。1日目は吹雪で、ゲレンデから宿までのコースを滑って降りることは恐くて、屈辱感を抑えてゴンドラで降りた。しかし、3日目には、ぎこちないながらも曲がれるようになり、面白さにはまってしまった。

修士1年のときには、来るべきシーズンに備えてお金を貯め、時間も冬に休めるように、日曜日も洗濯が済んだら実験室へ行った。ちなみに当時は、洗濯機がないので、手でごしごしである。手間を省くために、できるだけ薄着で過ごした。修士1年の冬には、スキーをそろえて急斜面をスイスイ気持ち良く滑降できるまで腕(足)を上げることができた。

2年のシーズンは、さすがに回数は減ったが、全然行かないで修論に集中、というわけでもなかった。修論発表の要旨を書き上げ、発表の準備も自分ではできたつもりで、東京から近いスキー場へ先生に無断で出かけた。当時はカーボンコピーもワープロもないので、修論発表の要旨といえども、印刷屋に頼んで、活字を組んでいた。誠に不運なことに(?)そのゲラの校正依頼が、スキーをやっている日に来てしまった。もちろん、連絡はつかない、締め切りは明日。仕方なく、帝大教授の誉れ高い大先生自ら、学生の原稿の校正をやったのである。

大学へ行ってすぐ呼び出され、「この大事なときに、一体どこへ行っていたんだ!」と怒られたのは当然である。「ハイ、スミマセン、スキーに行っていました」と消え入る様な声で答えたときに、先生がおっしゃったことに驚いた。「そんなことは、分っている。どこへ行っていたのかと訊いている」。「ハイ、中里です(そんなこと訊いてどうするの、とは口に出さなかった。冬は特急も停車するので、近くて良い所です、とももちろん言わなかった。)」。続いて先生は、「君も研究室の一員だ。これからは、きちんと断ってから行き給え」と、それで済んだ。先生は「瞬間湯沸かし器」のタイプだったのだ。それから20年後に自分が学生を指導する立場になって、このときの先生の気持ちが痛い程分かる気がした。ひどい学生だったと反省するたびに、研究室の学生には厳しくなっていった。「そういうのって、ありかな?」とは、思いつつ。