私の先生-3(大学)

2013.05.07

大学に入学して、数学・物理系は自分には無理と思い知らせてくれた先生がおられたことは、2011.06.27「大学入学から50年 」で書いた。今回は面白いと感じた方のことを書いてみたい。

まず、「意外に面白いものだ」と感じたのは一般教養科目の法学であった。松尾先生であったかと思う。ともかく社会科学系から4科目位は採らなければならないルールになっていたのであまり積極的な気持ちはなく聴講することにしたのであるが、様々な判例のことについて話してくれた。塀の外に枝が出ている木から果物を失敬するのは犯罪か、溺れそうになっている人がいたときに見て見ぬ振りをしたらどうか等、法律の解釈や裁判は意外と難しいものだという印象は新鮮であった。

とは言っても面白いのは断然理科系の授業である。担任であった山川先生のゼミ授業はなかなか難しかったが、余裕もあった。「Great Experiments in Biology」というテキストの各章を学生が読んで、皆の前で発表して中身を理解していこうというゼミであるから、入学したての新入生に全部分かるわけがない。それでも結構楽しかった。後から考えて、「あいつ、あの頃に赤外線吸収スペクトルの意味をきちんと理解していたんだ」と感心させる学生もいた。先生は相撲が好きで、「今日は、どうしても見たい勝負があるから、渋谷の喫茶店へ行って授業をやろう」ということもあった(キャンパスから渋谷の繁華街までは電車で5分くらい)。近いとは言っても、今では考えられないことである。

もう1つ聴講した「分子生物学」のゼミも興奮する内容であった。こちらは3人の先生が担当で、得意分野の最先端の話しを聞かせて頂いた。DNAの構造が二重らせんであることが発表されたのが1953年で、我々が大学に入る8年前になる。その功績でワトソン、クリック、ウィルキンスがノーベル賞を受賞したのが1962年、私が大学2年のときだ。まさに生化学から分子生物学が勃興する時代に大学に入学し、「鎌形赤血球の原因は、DNAの暗号に1つだけ異常があるから」という類いの講義を受けたのだから面白いに決まっている。残念ながらその分野に進学するだけの成績を取れなかったことは前に書いた。担当責任者の教授である今堀先生は、教養学部・農学部・医学部で教授を務めたことでも有名な方である。外国からの手紙の宛名が「Professor Imahora」となっていて、かんかんに怒ったという話は本当かどうか知らない。しかし、大胆な仮説を立てないと、この分野での大きな成果は得られないことは事実であろう。

有機化学の野村先生は駿河台予備校の講師もしておられ、教室では「また、お会いしましたね」等と学生に言っていた。この先生の話は、化学科へ進学してから聴いた講演の方が印象的であった。ドイツで客員教授として過ごしているときに、近くの仲間に「今年も自分の所にノーベル賞受賞の知らせは来なかった」と冗談で言ったら、その友人が本気で慰めてくれたという。欧米の名高い研究機関では隣の研究室の人がノーベル賞をとっても不思議はないという意識で研究に励んでいると、つくづく感じたとおっしゃっていた。