私が歩んだ道 その6

2019.03.25

 実験系研究では、必要な装置のある実験室を離れると研究のアクティビティを保つのは不可能である。慶應義塾大学を定年で退職した後は研究とは未練なく決別し、何か他にやれることはないか思案したが、理科系単細胞には No Idea であった。取り敢えずはと、いくつかの非常勤講師をさせて頂いた秋に、全く思いもよらず長崎県立大学で理事長を勤めませんか、というオファーが来た。まさに青天の霹靂であった。
 妻に相談すると、「私は一緒に行かないけど、貴方の好きにすれば」と素っ気ない。そこで、3人の友人・先輩に相談し、一人でも反対したらお断りしようと考えた。退職後ゴルフ三昧の元生徒会長は「俺なら二つ返事で承諾するよ」ときた。「自分はゴルフ三昧で、二つ返事とは、良く言うよ」という感じだ。先に登場した茅さんは「僕はいい加減だけど、君はもっといい加減だから大丈夫、行ってこいよ」と仰有る。なんという言い方!もう一人の友人にも背中を押された。県立大学関係者の方とお会いしてお話を聞き、ともかく大学を見せて頂いて、ご返事しますとお答えした。
 まさか大学を見せて頂いてから「やっぱり辞めます」とは言えない。ここまで来れば、決意するために必要なプロセスとしての意味くらいしかない。こうして理事長として赴任して2年、その後学長に転じて8年が経とうとしている。来た当初「何故、理工学部の教授が理事長として来るのですか?」という手荒い歓迎も受けたが、その直後に佐世保三田会の懇親会に混ぜて頂いたのが、佐世保の方とお酒を飲んだ最初かもしれない。その後佐世保赤門会の存在を知り、以後2足の草鞋を履いている。お陰様で長崎県の皆さんに温かくして頂き(事実はどうあれ、私自身はそう感じている)、充実した楽しい10年を過ごすことができたことは感謝にたえない。
 この10年間は「大学教育の質的転換」が強く求められた時期であったと思う。混沌とした新たな未来に向けていかなる状況においても自ら考え、判断し、議論し、そして一歩踏み出すことができる逞しい人材を育成する必要がある。そのためには、知識伝搬型の教育だけでは不十分で、能動的に自ら学ぶことができる学生、グローバルな思考ができると同時に地域に出て、行動しつつ学ぶ学生を育てなければならない。あるいは大学では授業を体系的に組み立て、内容をシラバスできちんと周知し、このカリキュラムで学んだら、卒業時はこういう能力がつく筈と学生に約束しなければならない。日本の大学生は世界一勉強しない、という悪評も払拭する必要があるし、外国人とも競争できる力をつけさせ、それを可視化しなければならない。私達が学生の頃とは随分違い、今の大学は教職員、学生共大変であるが、全体がそうなっているとすれば、留まることは退くことに等しい。一生懸命やって来たが、本学に見るべきものがあるとすれば教職員の一体となった頑張りと、地域の皆様の暖かいご支援の賜物以外の何者でもない。ここに深い感謝の意を表し、長崎県立大学の今後のますますの発展を祈念して、筆をおくことにします。8年間、ご愛読誠に有難うございました。