私の友人 その7

2018.12.20

 私の友人シリーズ最終回は佐世保にも複数回来たことのあるProf. Manfred Schneider、ドイツの教授で私よりチョット年上の親日家、何回も日本に来ている。
 彼と最初にあったのは1991年に英国Coventry(コヴェントリー)にあるWarwick(ウォーリック)大学で開催された学会でのことであった。コヴェントリーは、歴史的な美しい街であったものが、第二次世界大戦の際にナチの無差別空爆で廃墟と化したことでも有名なところである。また、“Send someone to Coventry”という有り難くない言葉もある。誰かを訳も言わずに無視する、追放するという意味らしい。ナチにやられたのは1940年であるが、1965年には大学が開設され、その立派なホールで開かれた会議であった。宿舎はその大学のゲストハウスで、日本とは違うなと羨ましく思ったものである。
 私は、その会議の直前にスェーデンで開催された別の国際会議での発表を済ませて、前日に到着した。その晩のウェルカムパーティで、1日早くWarwickに着いていた博士課程1年の学生に「こちらがSchneider先生です」と紹介されびっくり仰天したことを良く覚えている。Schneiderの名前は研究室の勉強会で読む論文にも時々出てくるので、名前はお馴染みであったのだが、まさか一足先に着いた学生が既に親しく話しているとは思いもしなかった。彼は今、京都大学薬学部の教授として大活躍している。
 その後Manfredとは、国際会議に参加する度に、と言って良いほど会ったし、日本の学会にも招待されて何回も来ている。大変親しみやすく茶目っ気もあり、ステレオタイプのドイツ人という印象ではない。カナダ・バンクーバー郊外の湖畔で開かれた学会でのことを紹介したい。ランチの後解散というスケジュールであった。時間ギリギリに食堂に入った私に「Hey, Hiromichi, this is your seat」と彼が声をかけてくれた。シニアの親しいメンバーが顔を揃えていた。私が座って席が一杯になると、彼はニヤリと笑って、「皆さんに素晴らしいプレゼントがあるよ」と言ってカバンの中から取り出したのは、ナント赤ワインのボトルであった。ランチなのでもちろん他のテーブルにはアルコールは無い。我々のテーブルだけワイン付きの食事を楽しんで、再会を約束したのだった。
 彼は佐世保にも2、 3回来ている。その3で紹介した浴槽のお湯を抜いてしまったのはManfredである。彼が佐世保へ宿泊予定の日、多分何かのイベントと重なり、佐世保市内のホテルがどこも満室で、仕方なく我が家に泊めたのである。佐世保では海の見える料理屋、馴染みの魚屋さん等々いくつかの店に連れて行ったが、彼のお気に入りは小さな天婦羅屋さんのカウンターで食べる天丼だ。場所も覚えていて、「Hiromichi, let’s have tempura lunch」という具合だ。そのお店の前を通る度に彼のことを思い出す。