新年明けまして、おめでとうございます

2018.1.15

 新年明けまして、おめでとうございます。昨日に変わらぬ今日であっても、元旦というと何か新しい気分があり、「今年こそは」と意気込んだりもする。昨年も何故1月1日が年の始まりなのだろうと考え、「太陽と地球の相対的位置関係で言えば、春分の日や秋分の日、あるいは夏至、冬至は一義的に決まるが、これは年の始まりとは関係ない」と書いたが、どうやらそうでもないらしいので再度書かせて頂く。
 現在使われているグレゴリオ暦の基本はユリウス暦であり、これはシーザーがエジプト遠征から戻るときに天文学者を連れて帰り、その時代に始まったものである。紀元前45年1月1日から使用されていたということだ。1年という時間は地球の公転周期で決まる。1日は地球の自転の時間で決まる。この両者の間に特別の相関はないので、1年の長さが1日の長さの整数倍になる必然性は全くない。実際には地球の公転の周期は自転の周期の「約」365.25倍である。
 太陽と地球の相対的位置関係はどちらが動いても同じなので、天動説に基づいても地動説をとっても同じ暦ができる。1年の長さも1日の長さも太陽の動きを観察すれば測ることはできる。問題は、どの日を1月1日にするかであるが、冬至の翌日を年の始まりとしたらしい。この日から日照時間が長くなる日を、その年の初日とすることは素直に納得できる。では、今は違っているのは何故か?地球の公転日数は「約」365.25日と書いたが、暦ができた当初はここまで厳密に長さを測って、うるう年で調整することは難しかったであろう。2000年以上前にはわずかな誤差が生ずることはやむを得ず、現在の元旦は冬至から1週間後くらいになってしまったのだろう。
 今年は、明治維新から数えて150年の節目の年になる。第2次世界大戦が中間点となり、日本も世界も随分変わった。日本全体としても人口減少は大きな問題であるが、大学生になる年齢である18歳人口もこれから減少する。「減少を食い止める」対策も重要であるが、人口減少を前提として「塞翁が馬」の考え方も必要であろう。こちらは「1年の計は元旦にあり」程度の短期スパンの考えではなく、10年、20年の展望が必要であろうか。