高齢者

2017.2.10

  1月6日の新聞に「高齢者の定義75歳以上に」という記事が大きく出た。長崎新聞では1面トップである。日本老年学会と日本老年医学会の提言である。私は1942年生まれで、満年齢で現在74歳である。「高齢者」としての自覚を持って(?)昨日まで生活してきたつもりが、「君はまだ準備期ですよ」と急に「格下げ」である。オイオイ、チョット待ってくれ、という感じである。「一億総活躍」とは、そういう意味かと皮肉の1つも言いたくなる。

 これも新聞記事からの引用。京都市下京区で1月1日から運用が始まった京都駅前運転免許更新センターの電光案内板で、「高齢運転者」の英語訳が「Terrible Driver」と表記になっていたことが京都府警への取材でわかったそうだ。府警は「Elder」の英訳ミスで申し訳ないと陳謝したと言うが、有り得ないミスで、「高齢者の逆走」等の悪いイメージがこびりついているからと邪推したくもなる。「君達はまだまだ元気だ、働きなさい」と言われたり、「己を知って運転は控え給え」となったり、一体どうしたら良いのかと戸惑ってしまう。

 そもそも年齢でスパッと区切ることに無理はあるだろうが、法律的に何かやる場合にはいちいち体力測定もできないだろうから、致し方ないかもしれない。学会の提言は、体力測定的なことも含んで、昔よりは同じ年齢の人が元気になっているということらしい。

 小学校入学時も年齢で整理するしか無いが、6歳になったばかりともうすぐ7歳では、この年では大分体力に差がある。6歳あるいは7歳位で入学させなさい、という制度になっても、親は皆6歳で入学させるだろうか。では、高校の卒業はどうか?現在新たな「高大(高校と大学)接続」やセンター入試に代わる大学進学志望者テスト、基礎学力テストに関する議論が盛んになされている。この手の試験がしっかりしたものになれば、何も皆中学・高校は3年ずつと画一的にしなくても良さそうな気もする。大学には飛び級で大学院進学ができる仕組みがあるが、「大学卒業」の資格は取れない。修士号を取得できれば、学士の取得は必要ないという考え方である。とは言え、「皆で一緒に」という考え方はまだまだ圧倒的多数派である。

 あまり深刻なことを書くつもりで75歳までは準備段階をトピックにした訳ではない。定年や年金の様な深刻な問題は別として、もう少し気楽な年齢制限はどうなるのだろうか。昨年運転免許証の書き換えの時期には、身体能力のチェックが義務づけられた。これは、安全のために従来通りの年齢制限でやる方が良いだろう。私はバスの割引乗車の恩恵には浴していないが、映画はシニア割引で楽しむことができる。スキー場へ行くとリフト1日券の類いが割引になる。今は、多くのリフトが列を作って順番待ちをするようなことは少なくなっているので、若者と同じ位乗っているかもしれないが、割引でもそれ程気が引けることはない。ゴルフもシニアティーで若者より前から打つことができる。
 私自身で感ずるのは、長距離走のタイムが70歳くらいを境にかなり落ちてくることだ。長崎に住み始めた09年の長崎ベイサイドマラソン(ハーフ=21.1キロ)は1時間50分そこそこで完走できたのに、最近走った佐世保小柳カップロードレース(10キロ)では、1時間でゴールできなかった。全く別のことだけど、最近のクラス会では、同じ年齢でも元気な友人とそうでもない友人の差が広がっている気がする。高齢者とはいくつからと他人に定義してもらわなくても、自分自身で「それなりに」自覚することが大切であろう。

ベイサイドマラソンの難所:女神大橋 小柳カップのスタート・ゴールは本学佐世保校の近く