北陸路

2016.11.25

 今年3月25日に「60年の変化その7」と題して北陸新幹線開通1年のことを書いたが、その北陸新幹線を利用して11月12, 13日で金沢を訪ねた。これまで「長野新幹線」には何度もお世話になっているが、長野から先へ終点金沢まで鉄道で行ったのは初めてである。
 東京の町並みを抜けてしばらくすると富士山が左手に見える。東京から北へ行くイメージから何となく想像するよりは、遠ざからない印象である。富士山が近くの山並みの陰に見えなくなると、左手に妙義山が見えてくる。岩が切り立ったギザギザの山なので誰にでもすぐ分かる。やがて軽井沢のあたりから、今度はなだらかな浅間山が右手に見える。「暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛 千曲川いざよふ波の岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて草枕しばし慰む」と藤村が詠った景色である。我々が通過したのは朝なので、もちろん浅間山は「明け行く」でも「暮れ行く」でもない。濁り酒も、もちろんない。という訳で、車内販売のビールを飲む。「今日から2日間休暇だ!」という感じが胸にフツフツと湧いてくる。
 長野を過ぎ、北陸路へ出るとほんの少しの間日本海が見える。新幹線はできるだけ早く目的地へ到着することを優先するようだが、ここはもっと海の近くに線路がある方が良い。10分早く金沢に着くより山から海への景色を楽しみたい。富山県に入ると左側に立山連峰が雄大である。雪化粧の山は夏の素肌より美しい。
 東京から2時間半で、室生犀星が「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」と言った金沢である。今や決して遠くはない。金沢は、太平洋戦争の際空襲にあっていないので、古い家並のある(ひがし茶屋、武家屋敷等)風情のある街である。我々は、多くの時間を兼六園で過ごし、さらに隣接する小松市にある紅葉の名所「那谷(なた)寺」や安宅(あたか)の関所跡を訪ねた。
 兼六園は言わずと知れた加賀百万石前田候の庭であり、金沢城に隣接している(現在、お城そのものは無く、公園になっている)。「兼六」の名称は宏大・幽邃、人力・蒼古、水泉・眺望の六勝を備えていることから付けられたそうで、日本三大庭園の一つに数えられるに相応しい美しさである。紅葉は今が盛りで、快晴に恵まれたことも幸運であった。
 「那谷寺」までは金沢市からは車で1時間くらいかかる。地元では「紅葉なら那谷寺」と言われているようで、その評判に違わない美しさであった。兼六園と違って、こちらは山を切り開いているので「立体的」である。
 小松市でもう1カ所「安宅の関所」跡を見てきた。写真に示す3人(義経、弁慶、代官)の像がなければ、「ここがそうだ」とは分からない。海のすぐ近くである。この関所で何があったかは、歌舞伎の勧進帳で有名なのでご存知も方も多いと思うが、私は浅学にして小松の海岸にあるとは知らなかった。義経一行は、兎にも角にもここを通過し、海路・陸路を経て義経が幼い頃に世話になった藤原家がある奥州平泉まで逃避行を続ける。しかし、最後は潜伏していることがばれ、最早これまでと義経は30歳で自害する。実際に自害したのは影武者で、義経自身は平泉からアイヌの地を経て大陸に渡り、ジンギス・ハーンとなったという話しは、どうも判官贔屓の人の夢物語らしい。時代が一致していることは間違いないが、、、。

兼六園

中央は雪の季節へ備える松

那谷寺の紅葉

安宅の関所跡
(左から義経、弁慶、代官)