60年の変化その8 化学のお絵描き

2016.6.10

 久しぶり60年の変化シリーズだ(その7は2016.3.25:鉄道、今日のテーマはその6:ワープロとPCの続きと考えて頂いて差し支えない)。自然科学の分野には、世界共通のコミュニケーション手段がある。数式や化学式、化学構造式等である。数式は正しいかどうか判断するのが大変かもしれないが、化学式、化学構造式は一目で何を意味するか理解できる。その意味で、外国人と必要最低限の議論をするのは、化学の分野が最も簡単かもしれない。極端に言うと、「A reacts with B to give C in an excellent yield. Next, reaction of C with D gives E in a good yield.」でも通じはする。もう少し気の利いた言い回しは工夫したいが、、、。逆に化学構造式無しで化学を理解することは極めて難しい。

 化学構造式を描く手段も、口頭発表であれ、論文であれ、ITのお陰で大いに変わった。口頭発表のためのお絵描きは、私が研究を始めた頃(一応卒業研究を「研究」とお認め頂くとして)は恐ろしく原始的であった。発表に必要な図等を模造紙という大きな紙に書く。既にその頃あったマジックペンで大きな字や図を手書きで書く。チョット複雑な場合には鉛筆による下書きが必要である。その紙の上部に「みみ」と称するわら半紙を糊でくっつける。発表会場には、大きな釘を何本か突き通した板を三脚みたいなもので支えたものが用意してある。この釘に「みみ」の部分を突き通して聴衆に見せるのである。次の図に移るときは、ベリッと破って1枚目を取り除く。破れるのは「みみ」の部分であるから、図そのものは再度使うことができる。講演が終わったら、そこらに散らかっている模造紙をかき集めて降壇することになる。文末の図を見てイメージして頂けるだろうか。何しろ前世紀の遺物である。想像力を逞しくして頂きたい。

 国際会議のような大事な会議の時には、スライドを作成した。化学式とアルファベットはロットリングという「型」を使ってA4の紙に書き、写真屋さんへ持って行ってスライドにしてもらう。「型」には、アルファベットの文字はもちろん、ベンゼン環はじめ他の典型的な化学構造を描くための基本的な図が描けるようになっている。大きさも様々である。ペンを紙と垂直に立てて均一な力で描くことがこつで、「型」があるとはいえ、上手い下手があった。模造紙に手書きより遥かに時間はかかる。描いている途中で不本意にも型をずらせてしまうと一巻の終わりで、またやり直しである。スライドの作成も大変高価なので、書き損じがないか慎重に見なければならない。

 PCで発表用の図を描くのが当たり前になってくると、媒体はスライドではなくOHP(Overhead Projector)に変わった。この方がスライドよりはるかに安上がりだ。透明な紙状プラスチックに図を直接焼き付けてつくる。はじめはモノクロであったが、やがてインクジェットプリンターが登場し、カラーが使えるようになった。こうなると色の使い方の「センス」の差が出てくる。インンクジェット用のOHP用紙は手で掴むと指紋の跡がつく。発表の時それがスクリーンに大写しになることを避けるために、発表練習は手袋をはめてやった。1990年代前半であろうか。

 記憶ははっきりしないが、21世紀の幕開けと共に、現在も使われているパワーポイントが登場する。はじめの頃は様々なトラブルがあった。PCとプロジェクターの「相性」が悪く映写できない、文字化けする等々せっかく作った図が土壇場で使えないことが少なくなかった。したがって防止策として、OHPシートも持参せざるを得ない。OHPシートは丁寧にクリヤーファイル等に入れて持ち運ぶので、結構重い。それにノートパソコンも持ち、どうしてこんなことしなければならないのかとブツブツ言いながら、出かけることも何年かあった。また、国内の学会で初めてパワーポイントを使って発表したときには、口の悪い他大学の仲間から「今回のシンポジウムの最大の収穫は、パワーポイントは太田さんでも使える程簡単なものだということが分かったことだ」と冷やかされた。