川の流れは絶えずして

2016.5.25

 日ごとに暖かさが増し、屋内にこもるより屋外の方が気持ち良い。植物も地中にいるより日の光を浴びたいとばかりにどんどん大きくなる。私の川崎での住処はマンションで、サウザンドシティーという愛称である。文字通り千所帯くらいの人が住んでいて、幾つかの棟に分かれている。中央広場にはかなりの数の植物が植えてあり、季節ごとに目を楽しませてくれる。

 川崎市は非常に細長い地形で、家から1キロくらい行けば東京と神奈川の境である多摩川へ出る。逆方向へそれより少し長く歩くと横浜市に入る。慶應義塾大学に勤務していたときは政令都市から隣の政令都市へ徒歩で通勤していたのである。さて、多摩川の川原は大変広く野球場、陸上競技用トラック、小さいながらゴルフ場まである。道路との境は高い土手で、サイクリングロードである。自転車に乗る人は、スピードを落とさずすれ違える。

 昔、マリリン・モンローが「Love is a traveler on ‘The river of no return’ Swept on forever to be lost in the stormy sea」と歌っていた(帰らざる川)が、川というものは元々「帰らざるもの」である。鴨長明さんから「ゆく川の流れは絶えずしてしかも、もとの水にあらず」(方丈記)と教わるまでもない。私が通った中学(新潟市)の校歌には「流れて止まざる信濃と阿賀野(両方とも川の名前)」という一節があった。流れて止まざるが故に、ときに川は人に人生を感じさせ、物思いにふけるよう仕向けるらしい。「広瀬川 流れる岸辺 想い出は かえらず」と佇みたくなり、「ああ 川の流れのように おだやかに この身を まかせていたい」と感ずるのはどの川でも同じであろう。
 多摩川は決して小川ではないが「岸のすみれや、れんげの花に、すがたやさしく 色うつくしく、咲けよ咲けよと、ささやきながら」と植物にも語りかけながら海へと注ぐ。以下、呼びかけに応えた草花を紹介しよう。名前はわからないが「雑草という名の草は無い」ことだけは確かである。ついでに「雑用という名の用も無い」。