60年の変化その7 鉄道

2016.03.25

久々に「60年の変化」シリーズ(前回は2015.06.15)です。昨年の3月14日に北陸新幹線が運転を開始して1年になる。「信=長野」を通って北陸へいく線なので「北信」と名付けたいが、これでは長野県北部という意味なり、適切ではない。「北信越」という言い方をすれば、長野、新潟、富山、石川、福井を意味するが、金沢終点ではこうも言えない。という訳で「北陸新幹線」になったのだろうが、長野は通過するだけのイメージで大分抵抗があったようだ。実際、先日乗った金沢行きの電車では、スキー客への配慮は長野行き程ではない印象であった。長野新幹線が開業したのは1997年秋。翌年の長野冬季オリンピックに合わせて、「取り敢えず長野まで」ということで急ピッチの工事だったのだろう。名前も「長野新幹線」となった。在来線の方は「信越本線」であるが、新幹線は越後・越中へは行かないのだから、「信越新幹線」とはなり得ない。

 新幹線のはしりはもちろん東海道新幹線で、走り始めて半世紀以上経つが、いつまで経っても「新」幹線である。新入生や新入社員はどんなに長くても賞味期限1年であるが、「新」幹線には賞味期限は無いらしい。リニアモーターカーが走りはじめたら変わるのだろうか、それともこちらは超新幹線か新新幹線と呼ばれるか、先のことは私が心配することもなかろう。

 東海道新幹線が東京−新大阪間515キロ(営業キロ数は553)を4時間で結んだのは1964年10月1日である。「馴し運転」期間1年を経て翌年には所要時間3時間10分となった。正に夢の超特急で同じ月に開かれた東京オリンピックと共に、戦後日本の復興のシンボルでもあった。今最も速い列車は所要時間2時間22分で、飛行機と十分対抗できる。
 私はできたての東海道新幹線に乗った。10月に名古屋で学会があった。当時大学4年だったが、「勉強」の口実で参加した。口実といっても、発表もしない学生に研究室からは1銭の援助も無い。したがって、自腹を切ってでも乗ってみたいと思ったということか。特急料金がいくらだったか覚えていないが、学生時代に帰省で利用していた上野—新潟間(東京—名古屋も同じ程度の距離)は学割を使って550円+急行料金300円だったから(学食の定食が100円程度)、新幹線もどうにもならない程高くはなかったのだろう。車内の各シートに説明用のパンフレットがおいてあり、車内放送で「ただ今、最高速度の時速220キロです」というアナウンスもあり、高揚感に溢れていた。

 私が育った新潟と東京を結ぶ上越新幹線が走り始めたのは、1982年11月15日である。東京—新潟間が従来の半分の2時間に短縮されたのだから、その効果は大きかった。飛行機が飛ばなくなった。東京の大資本が入ってきて、地元の店は飲み込まれていき、私の友人がやっていた運動具店もあおりを食ってしまった。上野駅の独特の風情も無くなり、今や全て東京駅発着となった。「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」ことは難しい。

 いわば日本の分水嶺をぶち抜くトンネル工事は、湧水に悩まされて大変だったようだが、その水は「大清水」として商品になった。谷川岳を貫通するトンネルは「だいしみずトンネル」であるが、水の名前は「おいしい水」ならぬ「おおしみず」である。自販機に使われた谷川岳の写真が、実は左右反対に印刷されていたことが後で分かって、話題になった。

 私が大学へ進学するために東京へ出た1961年には、上越線の新潟—長岡間60キロ余は電化されていなかった。長岡で蒸気機関車と電気機関車を取り替えて、新潟—上野は急行で6, 7時間かかっていた。今はこの時間かければ、東京から鹿児島まで行けそうだ。