卒業50年

2015.07.10

 私が大学を卒業したのは1965年3月であるから今年で半世紀経ったことになる。東海道新幹線開通や東京オリンピックから半年後、ビートルズが武道館で演奏会をやる約1年前である。岸信介総理の安保改定後の退陣を受けて登場した池田勇人内閣の「所得倍増計画」が軌道に乗り始めた時期と言えるし、日本の一次エネルギー供給量で石油が石炭を追い抜いた時期でもある。

 区切りの年ということで、2つのクラス会があった。東大の入試は大雑把な区分けで入学させ、1年半後に学科を決めるやり方であるが、理科・文科ともⅠ類、Ⅱ類までしかなかった最後の年代である。私が入学した理科Ⅱ6組のクラス会と進学した理学部化学科のクラス会がたまたま両方とも6月にあった。

 理科Ⅱ6組は51人で、出席は18名であった。残念ながら8名が他界している。43人の中には、介護施設でゆっくり生きている人もいれば、フルタイムで働いている人もいる。車いすでの生活を余儀なくされている人もいるし、赤いポルシェで温泉巡りを楽しんでいるというとんでもないない近況報告もあった。
 クラスメートの進学先は実に多く、それぞれの話しも面白かった。医学部進学者が1番多くて18名でこれはダントツであるが、他に順不同に理学部、工学部、薬学部、農学部と理系学部全部に進学している。学科でいえば、物理、化学、動物、植物、地理、応用化学、精密工学、電気工学、冶金工学、原子力工学、製薬、薬学、農芸化学、林産、農学工学等、もしかしたら未だあるかもしれない。高校卒業時に学科を選ばせることにどうなのかという気にもなる。
 卒業後の進路も実に様々である。大学に残り確信犯的に助手で定年を迎えた友人が複数いると思えば、学術会議の議長を務めた友人もいる。しかし、この会では同じクラスメートということがクラス会の楽しさであろう。

 化学科の方は、46名中40名が元気である。皆さん化学に関係する職に就いたかと言えば、そうではない。学士入学あるいは受験し直して医師になった友人が2名いたが、共に他界してしまった。変わり種は、大学院進学時に方向転換し、勤務先は違うが、経済学および数学の教授になった者がいる。生化学科の助手を勤めた後、「これは違う」ということで商社に転職した友人、外資系化学会社に勤務しながら「競馬必勝法」なる本を2冊も上梓した強者もいる。石油化学工業隆盛から、我々の学年から化学科の定員はほぼ倍増されたのであるが、企業で活躍した友人は多く、その点では当初の期待に応えることができたと言えるのではないか。

教養科目系の大教室 銀杏並木
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