60年の変化その2 ビール

2014.12.10

 60年の変化その1で食べ物の代表選手を取りあげたからには、その2は飲み物であるべきだろう。となると「取り敢えず、ビール」ということになる。ラーメンもビールも学生の頃のことなのに、話は一向にアカデミックにならない!

 学生の頃(60年代)には、瓶ビールしか無かった。自動販売機もない。したがって、滅多に飲むことはなかった。若い人の中には、「酒屋さんで買って冷蔵庫で冷やせば良いじゃないか」と考える人もいるかもしれないが、それはとんでもない間違い。当時の冷蔵庫は、白黒テレビ、洗濯機と並んで家電製品の「三種の神器」と言われる程のものであった。「三種の神器」とは、神様から授かった鏡、玉、剣のことである。冷蔵庫とは一般家庭にとってそれ程のものだったのだ。下宿やアパート住まいの学生は冷蔵庫を部屋に置くというような大それたことは決して考えなかった。という訳で、酒屋さんで買っても冷やすことができない。
 ビールはピラミッドの建造に従事させられた労働者への報酬として振る舞われたと言われている。学生の頃、冷蔵庫で冷やしていないビールを飲んでいれば、「ピラミッド建造の労働者」の気分を実感できたかもしれない。実際には、ビールを飲むとなると、今日は大御馳走だ!と街中のレストラン(という程の店ではないが)で、たまに友人と夕食を食べるときに1本飲む程度であった。

 最初に就職した化学の研究所の独身寮の食堂には、大きな冷蔵庫があり、いつでもビールが冷えていた。夜になるとそれを1本取り、「太田1本」と紙に書いて所定の箱の中に入れておくと、1本につき120円くらい(?)が給料から引かれる仕組みになっていた。独身寮の1年は、ただでという訳ではないが、現金を使わずに食事をし、ビールを飲むことができていた訳だ。結婚してからは近所の酒屋さんに20本単位で配達してもらった。酒屋さんはエレベーターのないアパートの4階まで20キロくらい担いで上がってきたのだから大変であったことと思う。缶ビールが一般に出回り始めたのは80年代ではないかと思う。

 慶應大学の理工学部の近くに新日鐵(現在は新日鐵住金)の研究所がある。ここで、講演を頼まれたことがある。講演後、何人かの方と社内の施設で会食を楽しんだ。当然ビールも添えられた。「本社では銘柄に関係なく鉄製の缶に入ったビールを飲むことになっている」と言われ、びっくりもしたし、感心もした。今は全てアルミ缶ではなかろうか。新日鐵系列の人達は何を飲んでいるのだろうか。ガラスメーカーに行ったときにも同じような経験をした。ここでは自社のガラスを使った瓶で売っている銘柄のビールしか飲まない。飲み会の幹事をまかされて、所定の銘柄以外のビールを注文したら「オオゴト」である。また、自動車にしても自社のガラスを使った車しか乗らないということであった。就職したときの車がこのメーカーのものでない場合には、遅きに失しないうちに買い替えないと出世の妨げになる。

蛇足:アルミニウムは鉄に比べると、高価ではあるが、軽くて柔らかい金属である。缶ビールの底の部分は、円筒に別の丸い板を接着したものではなく、1枚の金属板を型にはめて曲げて作ったものである。缶を見て頂くと底とトップの作り方の違いがすぐ分かる。お確かめ頂きたい。

鉄では硬くてアルミ缶のようにはいかない。底、トップ、側面と3枚の金属板が必要である。