60年の変化その1 ラーメン

2014.9.10

私は、秋の誕生日がくると満72歳になる。過去を振り返って懐かしむ余裕はあまりなく、写真アルバム等も全く整理していない。それでも何かのきっかけで、随分変わったものだと感ずることがある。もしかしたら、我々の世代はいろいろなことが大きく変化した時代を生きてきたのかもしれないと思うことがある。人類が経験した革命的出来事を3つ挙げるとすると、農業の開始、産業革命、そしてIT革命であろう。IT革命の真最中を生きてきたのだから、「大きく変化した時代を生きてきた」という表現はまんざらうそでもないだろう。しかも戦後、間もなくの頃からの記憶があるのだから、まさに日本が大きく変わっていく時代である。何がどう変わったか、記憶が怪しい部分の方が多いので、間違いだらけの恐れはあるが、「まあ、こんなもの」ということでお許しいただくことを前提に思いつくことをボチボチ書いてみたい。

 まずはインスタントラーメン。「変化」の最初でしかも「宇宙の創造主とヒトの進化」から間もないのに「インスタントラーメン」では、格差が大き過ぎて「それでいいのか?」と、感ずる人もおられるだろう。しかも「IT革命の真最中」と言いながら「インスタントラーメン」か、というお叱りも来そうだ。しかし、「インスタントラーメン」は日本が生んだ傑作であることを鑑みれば、「それでいいのだ!」と、赤塚不二夫流の答えが返ってくる。

 初めて食べたのは、高校に入った頃(1956年)、友人の家に何人か集まり、夜遅くまでだべったときのような気がする。気がするという程度で、最初からで恐縮だけど、皆さんも「インスタントラーメンを初めて食べたのはいつだ?」と尋問されたら、正確に答えるのは難しいのではないか。下宿生活をするようになってからの夜食がトーストであったことは前に書いた。この時期にインスタントラーメンを食べることができなかったのは、グツグツと鍋で煮ないと食べられないタイプのものだけだったからだ。四畳半1間では火は使えない。最初に就職した研究所では、所内の休息室で毎日のように小さい鍋でインスタントラーメンを茹でていた記憶がある。5時半頃に所内の食堂で夕食を食べ、10時、11時頃構内の寮に帰るまでの時間に、インスタントラーメンを食べるという生活が1年続いた。これは1970年だ。71年に結婚して、インスタントから遠ざかった。気がついたら、「お湯を注ぐだけ」型が現れていた。いつの頃からできたのであろうか?こちらは、「いつの頃から」さえ思い出せない。

 50年代後半、新潟の繁華街のお店で食べるラーメンは50円くらいだった。通っていた高校(繁華街からは離れていた)のそばのラーメン屋はもう少し安かったような気がする。東大駒場の飲食店で最も安いラーメンは25円であった(61, 2年)。「経済ラーメン」と称し、具は焼き海苔1枚(旅館の朝ご飯で出る、あのサイズ)。この名前だけは「そのものズバリだな」と印象的だったので、50年以上経った後も絶対の自信をもって言えることだ。