漢字のつくり

2013.11.25

 11月半ばに久しぶりに入院した。40年ぶりくらいかもしれない。元気なつもりでも70歳を超えると、体のアチコチが傷んで来るのはやむを得ない。しばらくお酒を飲まなかったというのも、一体何年ぶりであろうか。この頃は「休肝日」と称してお酒を飲まない日がたまにあっても、2日続くことはない。お酒に関していえば、遠い昔の学生(大学院生)の頃は、「週1日飲まない」ではなく、「週1日飲む」程度であった。当時は、間借り生活の学生が自分の冷蔵庫を持つということは、発想の外であったし、ビールの自動販売機もなかった。ウィスキーを水道水で割って飲むのはあまり気が進まない。

 土曜日の夜だけ大学の実験室から早めに帰り、お風呂屋さんへ行ってから、近くの食堂へ行く。マカロニグラタン等という類いの、値段の割には腹のたしにならない、でも普段の学食の定食とは違って洒落た感じのするものを、ビールを飲みながらゆっくり食べるのが唯一の贅沢であった。「グラタンの熱さとビールの冷たさとのハーモニーは格別なんだよな」等という意味がありそうで実は全くない台詞を口に出してみて、何となく悦に入った気分になる。

 さて、病院からは、1泊で追い出されてしまったが、退院の日を含めて「安静に」という3日間は退屈な時間であった。新聞や本を読む以外やることもないし、何となく集中しない。そんな風に活字を追っていると、漢字というものは、よくよく見るとなかなか面白いものだと感じた。以下は、勝手な想像で全部間違いかもしれないし、役にも立たないので(それは毎度のことか?)、お忙しい方はここで、切り上げることをお勧めする。

 明るいという字は、日と月が合わさっている。お日様だけで十分明るいのに、何故月が組み合わせてあるのだろう?日と月が一緒になるというときは、満月のときである。このときの月は最も明るい。したがって、日と月が合わさって明るいとなるのではなかろうか?そこまで考えなくても自然界で光り輝くものを2つ合わせて「明るい」とする方が素直か。あしたを漢字で書くと「明るい日」となるのは、何とも最高の感覚である。日と十を組み合わせると早いとなる。「もう、10日にも経ったのか、」というのが早いという感覚なのであろうか。日と寺の組み合わせで、時となるのは屁理屈をつけようと考えても難問だ。日時計で時を見計らっていた頃、お寺の境内で、瞑想しながら、木や石の陰の動きで日の動きを感ずることが、時の流れを感ずることなのかもしれない。京都の龍安寺の石庭や苔寺の木漏れ日の庭を思い浮かべると、何となく尤もらしい感じがしてくる。

 稲刈りもとっくに済んだが、機械がなかった頃、田んぼで力が必要な仕事をするのは男の役割であろう。そこで、田+力=男となる。女も又一緒になって力を出すのが、普段以上のことをやる意味で、これが「努力」ということだ。重いものに力をかけると、何とか動かすことができる。したがって、重+力は動くとなる。これを人がやるとなると働くになる。力が沢山一緒になると協力で、どうも力がつく字は比較的簡単だ。

 最後にもう1つ。十回も二十回も、即ち何回も言い合いをして練り上げるのが計りごとであり、計画だ。平等に公平に発言しなければならないことは評価。淡々と言うだけでは物足りなく、舌を縦横に使うのが「話す」ということなのか。他人を説得するにせよ、巧みな話術で引きつけるにせよ、熱心に言う必要があることは確かだ。これに対して、自分(吾)のことを言うのが語るということらしい。こういう場合には、舌を使ってまくしたててはいけないと肝に銘ずるべきだ。