懐かしのスキーヤー

まだまだ暑い日が続く。そこで、せめて涼しそうな話題にしてみた。今年の5月に三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登頂に成功した。手厚いサポートがあったのだろうが、これは凄いことだ!

この文章を書き始めて、「三浦雄一郎」とすべきか、「三浦雄一郎さん」とすべきか、「三浦雄一郎氏」とすべきか迷ってしまったが、新聞にしたがって「三浦雄一郎さん」とした。参考のためにと英字新聞Japan Timesを見ると「Alpinist Yuichiro Miura」となっていた。どうも、日本語の方が面倒である。かつては「冒険家、三浦雄一郎」であった。エベレストや富士山をスキーで滑降するとなると、単にスキーヤーとは言い難く、「冒険家、三浦雄一郎」となったのであろう。今回は山に登ったのであるから、「Alpinist Yuichiro Miura」は分かりやすい。

スポーツ界の有名人は、現役あるいはコーチや監督を退くと「さん」になるようである。「3番サード長嶋」から長嶋監督となり、長嶋さん国民栄誉賞、となる。三浦雄一郎さんは現役引退とは言い難いが「さん」になってしまった。どうもなかなか難しい。

三浦雄一郎という名前を私がはじめて知ったのは、50年近く前、スキーを始めた頃である。彼はスキーのキロメーターランセで世界記録を樹立して名を上げた。急斜面を滑り降りて、定められた一定区間のスピードを競う競技である。記憶は多少怪しいが、時速170キロ超をマークしたのであった。同じ頃開通した東海道新幹線並の速さだ。航空研究機関にある風洞等を使って入念な準備をして臨んだようだ。その後の活躍の原点になっていると思う。スキー雑誌で読んだコメントに「何故もっと目標を高く置かなかったのか悔やまれる」とあって、凄いことを言う人だと感心した覚えがある。80歳になった今でもその挑戦魂に衰えが無い。つめの垢でも飲ませて頂きたいものだ。

スキーにのめり込んでいった私に、もう一人忘れられない名前がある。平沢文雄「さん」というべきか。三浦雄一郎さんよりチョット若いが、もちろん今ではシニアである。かつて程有名ではなくても、ヤフーで検索するとすぐ名前が出てくる。今でも「現役」でスキーの指導をしているようだ。当時は、最も華麗なフォームで滑るスキー指導員として折り紙付きの人であった。直接指導を受けたことはないが、彼の書いた本を買って、下宿の4畳半でこんな感じかとポーズをとってみたりした。風呂屋の鏡の前でやると、「何だ、アイツ」という目で見られるが、でも何をやっているのか分かってくれる人もいるくらい当事のスキー人口は多かった。

冬のオリンピックでアルペン競技(滑降、大回転、回転)初の3冠王になったのは、オーストリアのトニー・ザイラー(1956年)。1935年生まれなので、平沢文雄の1年後輩だ。その頃のスキーのブランドは、オーストリアのクナイセルとケスレー、そしてフランスのロシニョールであった。オリンピックでどちらの国の選手が金メダルをとるかということは、両者の売れ行きに大きな影響があったようだ。12年後にフランスのジャン・クロード・キリーが二人目の3冠王になって以来、他にはこの快挙をやった人はいない。おそらくこれからも出ないだろう。
冬季五輪のアルペンスキーでメダルを取った日本人は、トニー・ザイラーが金を取ったときの回転の銀メダリスト猪谷千春だけである。ジャンプや複合では金メダリストもかなりいるのに、アルペン種目ではあまり奮わない。実際の雪の斜面での練習が重要であるということか。