環境問題

2012.01.10

環境に関する問題が深刻になってきている。もちろん、「散歩道」で気軽に論ずることができるテーマではない。内容、原因も様々である。地球の温暖化にしても、仮にその原因が太陽そのものの活動によるものではないとしても、なお二酸化炭素排出だけが原因ではない。牧場での牛の糞や堆肥から発生するメタンガスも二酸化炭素と同じ原理で、しかも二酸化炭素以上に、温暖化の原因となる。

環境問題が深刻なことと、世界的に見て人口が増えていることは無関係ではないだろう。世界の人口は、西暦1000年では3億人、1800年10億人、1900年20億人、1960年30億人、2000年60億人と増加の一途である。増加の原因はいろいろあるにしても、科学技術の発達抜きには語れない。1800年頃は産業革命、蒸気機関が活躍し始めた。1900年は、もっと小回りのきくガソリン自動車が使われ始めた頃。そして1960年はナイロン、ポリエチレン、ポリプロピレン等の合成高分子が大量に工場でつくられ始めた時期である。化学工業ではこの他、医薬品、農薬、肥料がつくられ、病気に勝てるようになり、食料の供給も増えた。

化石資源と呼ばれる、石炭と石油は動力、運搬や暖房に使われるエネルギー源としてだけではなく、上記の化学工業製品の基幹原料でもある。「化石資源の枯渇」とは、「環境問題」とは別に、我々の生活に今や欠かせない様々なものをつくるための原料が無くなるということでもある。仮に使う量を半分に節約しても、無くなるまでの時間が2倍に延びるだけの話しである。この時間は、1万年が2万年になるというスケールではなく、せいぜい100年が200年になるという程度である。こういう時間内に我々は、完璧な対策を講じなければならない。

では、やはり原子力か、というとそれも違う。当座は原子力エネルギーに頼るかという考え方への賛否はおくとしても、核融合は諦め、放射性ウランの核分裂に頼ることを前提にするなら、その量にも限りがある。今のペースなら、使えるのは100年、200年というオーダーである。決して、未来永劫という訳ではない。

エネルギーについては、太陽エネルギーの直接的変換も可能であるが、物質源については、どうしても二酸化炭素を基幹物質に変換しなければならない。炭素を含む化合物は、ある程度のリサイクルが可能だとしても、最終的には化学的に最も安定な二酸化炭素となる。これを、もとに戻さなければならない。自然に任せるなら植物の炭酸同化作用に頼るしかない。あるいは植物がやっている変換反応を人工的に工場で行うか。研究は進行中ではあるが、なかなか効率良くいかない。国としてもっと力を入れる必要があるのではないか。