スポーツの秋

2011.10.10

食欲の秋、天高く馬肥ゆる秋、スポーツの秋でもある。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」と言った人もいる。「秋の日の ヴィオロンのため息の 身にしみて ひたぶるに うら悲し・・・」、「灯火親しむ候」や「読書の候」も秋である。食べたい人も飲みたい人も、活動したい人も悲しい人も、勉強も、何でもかんでも秋である。「あはれ、秋風よ 情あらばつたえてよ・・・」と、秋刀魚を焼きながら訴える人もいる。風も特別か?

今回は体育の日に合わせて、スポーツ。体育の日は1964年の東京オリンピックの開会式の日である。日本の夏は暑くて湿度も高く、コンディションが悪いから秋にしよう。統計的に1番晴れる日、ということで10月10日に開会式が行われ、以後国民の休日になった。私は大学4年であったが、我々の研究室では、チケットを入手するために皆で抽選の葉書を出し、1枚だけ切符が取れた。代表で行った先輩の8ミリ映写機が入場行進の途中で動かなくなり、皆に長いこと非難されていた。東海道新幹線が走り始めたのは、その10月1日。翌年には、名神高速道路、間もなく東名高速道路も開通。日本が高揚感に溢れていた頃である。

さて、スポーツ。考えてみると、スポーツの勝ち負けは極めて単純である。陸上競技は、より速く、より遠くへ、より高くのどれかである。水泳は主として「より速く」であり、陸上競技と本質的に変わりない。氷や雪の上でやるスポーツも「より速く」あるいは「より遠く」である。スキーでは、重力という要素も効いてくる。体と体をぶつけて争うレスリングや道具を使う射撃、フェンシング等も含めて、全て(昔の)戦争で勝つための能力あるいはスキルを、決められたルールの下で争っていることになる。

球技は、戦争とは直接関係無さそうで、ある種の「遊び」と言えようか。ある決まったゴール(or カップ)へボール(もしくはその類い)を入れるか、相手の打ち損じを誘えばポイントになる。野球は90度の範囲ならどんなに遠く打っても良い点と、プレイヤー全員がフィールドに出ていない点で、極めて変わった球技である。攻守合わせて18人中、出ているのは最大限13人。守る9人のうち、1人だけ他の人と反対方向を向いているのも変わっている。

私は、見るより自分でやる方が好きだ。「好きこそものの上手なれ」というが、好きなだけでは上手くならない。悔しいので「下手は下手なりに」とか、「下手の横好き」等と言ってみるが、やはり負けると悔しい。「こんな筈ではなかったが」と思いつつ、懲りもせずにやっている今日この頃である。