夏が来れば・・・

2011.07.10

梅雨が明け、夏本番である。「夏の思い出」というと皆様は何を思い浮かべるだろうか。キャンプ、海水浴、花火、等々野外で楽しむことが多い季節だ。このタイトルでよく知られた歌がある。「夏が来れば思い出す、遥かな尾瀬、遠い空・・・」である。尾瀬ケ原は群馬、福島、新潟の県境に位置する湿原で、燧ケ岳と至仏山に抱かれている。栃木県の奥鬼怒温泉までも、歩いて1日の行程だ。九州からは確かに「遠い空」で馴染みは薄いかもしれない。東京からは今や「遠い空」ではない。しかし、時間は短縮されても、東京の喧騒のなかで憧れの気持ちを持って思い出せば、間違いなく「遠い空」である。尾瀬にはファンが多く、何回も行く人が多い。初夏の水芭蕉、夏のニッコウキスゲ、秋の草紅葉、冷気の中の木道とそれぞれに趣がある。尾瀬の夏の夕暮れは、「石楠花色(しゃくなげ)にたそがれる」と歌では表現されている。石楠花色とは紫がかった赤とでも言えるだろうか。

山の夕暮れとなると、色合いが違う。「山小屋の灯火」では、「暮れ行くは白馬か、穂高は茜よ」とある。「白馬」は「シロウマ」である。この歌が出来た頃は「ハクバ」ではなく「シロウマダケ」であった。さもないと、5、 7の良い調子にならない。穂高が茜色とは、岩壁が夕日を浴びて輝いているのだ。これは見た者でないと分からない、「神」を感じさせる荘厳な美しさである。尾瀬の夕空、夕日に輝く岩壁と日本語には豊かな自然を表すのにふさわしい言葉が用意されている。

では、子供の表現はどうか。「ギンギンギラギラ夕日が沈む・・・真っ赤かっか、空の雲、みんなのお顔も真っ赤っか」と、ひたすら「真っ赤」で攻めてくる。いかにも子供らしい素直さだ。と思いきや、芭蕉の句にも「あかあかと日はつれなくも秋の風」というのがある。さすがに芭蕉では、「真っ赤っか日はつれなくも秋の風」とはならない。「日はつれなくも」とは、残暑の厳しさをいったもので、「秋の風」とは言え、まだ実感としては夏である。

最後はホントの秋。「優しく白き手を伸べて、りんごを我に与えしは、うす紅の秋の実に人恋い初めしはじめなり」、藤村の詩の一節だ。ここは、どうしても「うす紅」でなければならない。「うす赤色」と言い換えると、初恋のロマンがどこかへ行ってしまう。

我々日本人は、さまざまな感覚を表現するのに相応しいいくつもの言葉を持っていて幸せと思う。念のため申し上げれば、「外国語にはない」という意味ではない。単に、有るのか無いのかさえ私が知らないだけである。