植物は緑か青か

2011.06.12

芭蕉の句に「あらとうと 青葉若葉の 日の光」というのがある。高校の先生が「芭蕉にしては、変な駄洒落を入れて、上出来とは言えない」と評していたので妙に印象に残っている。芭蕉に言わせると「青葉若葉」となるのである。俳句なので字数に制限があって致し方ないのかもしれないが、ともかく緑の葉を「青葉」と表現することが許される。仙台には青葉城や青葉区がある。北の方だけの話かというと「青葉茂れる桜井の・・・」という歌もあるので、「葉っぱは青」というのは全国区である。そんな古い歌を引っ張り出すまでもなく「青田、青果店、青物市場、青々と茂る」等々日常的に使っているのだから、「葉っぱは青」は当たり前のことなのである。青いホウレン草やレタス、キウリ等を想像するのは容易ではないが・・・。野菜のサラダは、やはり「グリーンサラダ」が良い。「ブルーサラダ」では、何となく美味しそうではない。

緑や青は「人が若い」という意味にも使われる。字は違うが、嬰児は「みどりご」とも読み、新芽のような子供、即ち赤ちゃんの意味である。成人を迎える頃になると、青年、青二才、青臭い、考えが青い、青春等、良くも悪くも「青」となる。ここでは、緑と青は、両方とも「若い」にしても、明らかに違う。緑の方が生まれたて、青はもう少し時間が経っている。青物市場にならぶ野菜は収穫されたものなのだから、緑に比べれば、時間が大分経っているとも言える。

「緑の黒髪」という一見意味不明の表現がある。これは女性の髪をほめるときの言葉である。白髪の対極にある美しい黒髪は、秋霜(白)との対比で若さの象徴としての緑で表現されるということらしい。こうなると「色」はもはや二次的である。

最後に、チョッピリサイエンス。植物の葉が緑色であるのは、炭酸同化作用の触媒である葉緑素=クロロフィルという化学物質が、太陽光のうち赤に相当する波長の光だけを吸収するからである。このため、見た目には赤の反対色である緑が強調されることになる。遠くない将来、人類は自らの sustainable society 維持のため、今よりもっと植物の炭酸同化作用に頼らざるを得ない。そのとき、「赤い光」以外の波長も利用する方が高効率であるに決まっている。化学合成とバイオテクノロジーの進歩で青い光も利用できる遺伝子を有する稲ができるかもしれない。植物が青い光も吸収してしまうと、当然葉っぱの色は変わってしまう。もし、可視光を全部使う(吸収する)ようになると、その植物は真っ黒になる。「青々とした田畑」はなくなるし、「新緑の季節」自体もどうなるか・・・。そこまでは、やり過ぎの感が否めない。

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