有機化学実験と料理

2013.3.25

私は「かつて」、有機化学者の端くれであった。自然科学の実験を必要とする領域では、実験室がある施設を離れると、研究者であり続けることは不可能である。その意味で「かつて」である

一口に有機化学と言っても、カバーする領域は広い。新しい機能を目的として新しい物質をつくる、物質をつくる新しい方法を工夫する、新しい物質を自然界から探し出す、複雑な構造を決定する、反応の経路を明らかにする等々相互に絡み合って、発展する。例えば、新機能を有するプラスチックをつくること、クロスカップリングで効率の高い合成法を開発すること、クラゲから光るタンパク質を取り出すことも有機化学の領域である。

 もちろん、「有機化学」とは呼ばれない分野の発展も活用されるし、他の分野に貢献することも日常的にあり得る。私自身(正確には研究室の学生諸君)も、遺伝子を増幅する技術、微生物の遺伝子を別の微生物で発現させる、コンピュータを使ってタンパク質の三次元構造を推定する等、有機化学とは一見関係なさそうな要素技術を大いに活用していた。

このような有機化学に広く共通することは、研究の発展に多かれ少なかれ実験を伴うことである。一般に取り扱う物質量が少なくなる程、必要な機器は大きくなり、高価になる。「物質量が少ない」とは、1円玉を1000個に分割した、その1つより少ないという桁であり、「高価」とは億の桁である。しかし日常的な実験では、食卓くらいの広さの台を使って、「お醤油を小さじ一杯加え、30分炒め、塩と胡椒を少々加えて出来上がりです」というイメージと大差ない。即ち、有機化学の実験も料理も基本的には、「必要なものを順序よく適当量混ぜて、加熱するか冷却する」である。実験台の広さは、「両手の指を組み、両肘を左右に張り、その肘から先の部分を台の上で這わせれば、十分なスペースが得られる」と喝破した人がいた。このスケールも料理と似たようなものである。

私自身も若い頃は自分で実験をしたためかどうか、時間さえ許せば、料理(と言えるかどうか怪しいが)は苦にならない。逆に言うと、美味しいものをじっくりつくるのではなく、短時間に能率よくつくることが至上命令である。例えばカレーを作るときは、野菜炒めやハンバーグも同時に作る。タマネギが共通に入るので、切り方を変えて3種類用意し、カレーを鍋でグツグツ煮ることと、ハンバーグをオーブンで焼いている間に、野菜炒めをつくれば(これだけは、手が離せない)3種の加熱装置を同時に働かせて、効率よく何日か分のおかずができることになる。これに、焼き魚や刺身のような手のかからないものと生野菜を組み合わせれば1週間分を3, 4時間で用意できる。

数ある(?)メニューのうち、「白菜のあっさり漬け」のレシピをご紹介しよう。白菜1/4を幅4 cm程度に切る。水洗いし、スーパーマーケットにある半透明のビニール袋の大きめのものに入れる。用心して二重にする方が良い。これに麺つゆ30 ml、白だし30 ml、料理酒45 ml、みりん15 ml、食塩2.5 ml、好みにより七味唐辛子と乾燥した柚子を少々、味の素3振りを加える。ビニール袋の口をねじって閉じ、カクテルをつくる要領で激しく振る。口を開けて、食塩2.5 mlを加えて振る操作を2回繰り返す(食塩合計7.5 ml)。袋の中の空気を追い出しながら、ギューギューつめると入る大きさのタッパーウェアに袋ごと入れてきつく蓋をして冷蔵庫に丸1日程度入れて出来上がり。調味料の量はきちんと記録し(特に塩)、2回目につくるときにより好みにあったものにするため調整することが肝心である。これは、有機化学の実験でも極めて重要なことである。