大学入学から50年

2011.06.27

先日6月18日、大学入学50年を記念して、久しぶりに当時の仲間とのクラス会が開催された。参加者は21人(4割くらい)と結構多かった。東京大学理科Ⅱ類6組というのが私の入学当時のクラスである。当時の東大の入試は文科、理科ともそれぞれⅠ,Ⅱ類2つに分けて行われ、Ⅲはなかった。理科Ⅱ類からの可能な進学先は、医、理、農、薬学部が主で、他に教養学部、単位の取り方によっては工学部にも進学できた。実際我々の仲間はこの全ての学部に進学している。学科数で数えると実に19学科の多きを数える。

私は入学当時「どうしてもこの道」という程の強い志望は持たず、漠然と医学・生物系ないしは化学系と考えていた程度なので、この制度は好都合であった。進学可能な学部をできるだけ広げておこうと思って、工学部進学に必要な図学にも挑戦したが、設計図から3次元の形をイメージする才能がまるでないことに早々と気づかされ、あっさり工学部は選択肢から落ちた。

もう一つ、数学演習もてんで歯が立たなかった。与えられた宿題の答を先生が来る前に黒板に書いておくと単位がとれる仕組みになっていたが、これが解けない。大学受験までは数学は得意科目の筈だったので、「世の中間違っとるよ、誠に遺憾に存じます」と植木等ばりに言ってみてもどうにもならない。白旗を掲げ、数学を使わなくてもやって行ける分野へ進学することとした。

必修の物理、数学も大変だった。両方とも高校までのものとはまるで違い「これが物理か、数学か?」という感じであった。この2科目は猛烈に(?)勉強したが、結局試験に合格する自信を持てるまでにはいかなかった。過去問やシケタイ(試験対策)というような気の利いたものは、当時は無かった。しかし、案に相違して試験は極めて寛大で、結果的には悠々合格であった。結局、授業は物理や数学を志す人のレベルで、試験は多くの学生の落第を避けるために「その他大勢」用であったのだ。これは、先生からのメッセージと謙虚に受け止めた。

こんな風にいくつかの学科はオプションから消えた。医学部進学のためには、もう一度入学試験を受けなければならないのがおっくうで、これも止め、さらに生化学科への進学には点数不足等々、結局残ったのは理学部化学科、農学部農芸化学科、薬学部製薬化学科の3つであった。どこが良いか判断できず、それなら最も基礎的な学科へと考えて理学部化学科へ進学した。卒研では、物理や数学からは一番遠い分野の研究室へ入れてもらい、その後の人生が決まったことになる。ただ、現在のポジションは、この延長線上に見えてくるものではない。